古形の雛人形が立ち姿の「立雛」であったことは前述しましたが(「古式享保頭立雛」参照)、現在みられる座り姿の雛人形が登場したのは、江戸前期~中期頃のことと考えられます。現存する初期の座り雛には、「室町雛」「寛永雛」等と呼ばれるものがありますが、これらの呼称は室町時代や寛永年間に作られたことを示しているわけではなく、衣裳等の様式から後世、便宜上名付けられたものです。
このうちの「寛永雛」の様式を発展させた雛人形が、「享保雛」です。徳川八代将軍・吉宗の治世である享保年間(1716~37)頃から主に町方で流行したといわれ、能面のような古風で面長な表情、金襴や錦等を用いた豪華な衣裳に特徴があります。男雛は束帯、女雛は五衣唐衣裳(俗称十二単)姿を基調としていますが、有職から離れ、観賞を意識した独特の様式を創り上げています。
享保雛は、裕福な商家から庶民まで、幅広く飾られたことを示すように、80センチ程の超大型から10センチ以下の小型まで、大小精粗様々な作例がみられますし、明治・大正期の作品が多数現存していることから、現在の雛人形の原形となった「古今雛」が江戸後期に登場して以降も、連綿と作り続けられていたことが分かります。
広く長く愛された享保雛は、いまでも各地の博物館や旧家の雛人形展で江戸時代の代表的な雛人形として、多くの人たちにその幽雅な微笑みをなげかけています。