吉徳これくしょん vol.04
日本の人形を語るとき、何といっても欠かせないのは、三月三日の雛祭と雛人形です。古代中国では三月の初めの巳の日を上巳(じょうし・じょうみ)といい、川辺に出掛けて身の穢れを祓う習俗がありました。また、日本では古来より折々に紙や草木で作った人形(ひとがた・形代〈かたしろ〉ともいう)に身の穢れや災いを託する習俗がありました。中国と日本の習わしが結びついて生まれた、この風習は現在でも「流し雛」として残っています。
こうした、古くからの上巳の節句の祓いの行事と、平安時代に上流階級の子女の間で行なわれていた「ひいな遊び」(小さな人形やミニチュアの御殿、道具などで遊ぶこと)が徐々に重なり合い、「雛人形」は形作られていきました。
江戸時代初期の雛人形は、「紙雛」あるいは「神雛」、立ち姿であることから「立雛」とも呼ばれる、祓いの形代のおもかげを残すものであったようですが、次第に美しい裂を用いるなど、様々な工芸技術を応用して専門の職人によって作られるようになりました。立雛とはいうものの、その多くはボディが扁平なため独立できず、小さな屏風や雛壇に立て掛けて飾ります。
本品は衣裳部分は裂を用いていますが、古式の享保雛の頭に共通する、古風な面相をしています。