吉徳これくしょん vol.15
お正月の縁起物であり、また婦女子の遊具であった羽子板は、江戸時代中期頃から、その図柄に人気歌舞伎役者の似顔絵を描くようになりました。はじめは板に絵具で彩色する「描絵」でしたが、文化文政頃から、古来の押絵細工の技法を応用することが考案され、専門の押絵師が出現するにおよんで、羽子板はいちだんと華麗な存在となりました。
江戸市中に立つ年末の羽子板市では、さながら人気スターのブロマイドを求めるようにファンが争ってこれを買ったといい、特に明治中期、東京に九代目 市川 団十郎・五代目 尾上 菊五郎・初代 市川 左団次の三大名優を柱とする歌舞伎の黄金時代が到来すると、押絵師たちも腕を競って似顔羽子板の製作に励みました。
なかでも群を抜いていたのが、大和屋 吟光(岡崎 銀次郎)の作品です。押絵羽子板は通常、分業で作られますが、彼は下絵から始まって押絵、面相、裏絵と、工程の全てを一人で手掛け、そのいずれにも見事な技を示しました。小物に至るまで吟味された材料、明治の浮世絵を思わせる面長で古風な面相、羽子板独特の末広がりの形のなかにキッカリ極った型。吟光の押絵羽子板はえもいわれぬ気品を漂わせ、今日なお良き古き明治歌舞伎のおもかげを伝えています。