吉徳これくしょん vol.23

 
奈良人形「高砂」

 奈良人形は別名を「一刀彫」とも呼ばれるように、刀痕を鮮やかに残した木彫の人形です。 その起源は平安末期より続く春日大社の祭礼用具にあり、これらは神事に用いるゆえに、できるだけ人間の手が触れぬよう、簡素に仕上げました。 そのため、こうした作風を生んだといわれます。

  江戸前期以降は、春日有職檜物師(ひものし)の岡野松寿家がこれを独占世襲し、春日若宮おん祭に用いられる盃台および花笠に付属の人形を年々調進していました。 そして江戸後期、九代松寿(保伯・1810没)が、従来の祭礼用具以外に節句人形や観賞用の人形、根付等を作り出しました。 銘を刻し、箱を備えた奈良人形は、ここに初めて美術品として愛玩されるに至ったのです。

  さらに天保年間、保伯ら歴代の作品を研究し、独学で奈良人形師となったのが森川杜園(1820~1894)で、奈良人形は彼によっていよいよ大成されました。 その見事な作品は、現代の奈良人形界にも大きな影響を与え続けています。

  本品は、もと大和郡山藩士で、明治維新後に奈良人形師となった瀬谷桃源家の二代(梶蔵・1908没)の作と思われます。 杜園の作風にも通ずるところがあり、力強い彫りと丁寧な彩色とがいかにも奈良人形らしい秀作といえましょう。

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