吉徳これくしょん vol.27
江戸後期から作られ始めた押絵羽子板は、明治時代になると九代目 市川 団十郎・五代目 尾上 菊五郎・初代 市川 左団次に代表される東京歌舞伎の隆盛や、彼ら人気役者を描くことに長け、押絵の下図や面相をも手掛けた浮世絵師の存在などを背景に、いよいよ完成されました。
当時の名工である勝 文斎や大和屋 吟光の作った押絵羽子板は、技術的にも感覚的にも、もはやそれ以上の発展を望めないほどに極められた感さえあります。しかし、現代の雛人形が長い歴史のなかで幾多の変遷を経てきたのと同様、羽子板もそこに留まることはなかったのです。
明治の末から大正にかけて、押絵羽子板は役者錦絵から離れ、独自の様式を創り上げてゆきました。それは浮世絵の衰亡が大きく影響したためと推察されますが、世の人々の好みが大きく反映された結果でもあるでしょう。面相はよりリアルに、押絵自体もより立体的になり、ここにほぼ今日の押絵羽子板の原形が出来上がったのでした。
本品を作った永井 周山は、現代の押絵羽子板の礎を築いた先駆者ともいえる押絵師のひとりです。研究熱心な性格から、鏑木 清方の愛顧を受け、清方作品を押絵化した見事な作品も遺しています。