吉徳これくしょん vol.28

 
象牙雛

 今日のごとく、上巳の節句が「雛祭」として、女児の「初節句」に、「雛人形」を飾るというかたちになったのは、徳川幕府が江戸に開府されてからおよそ150年、18世紀半ばのことと考えられています。長い泰平の世は、簡素な「ひとがた」に出発した雛人形を華やかな工芸品へと高めてゆきました。

  しかし、さまざまな物品同様、時に贅沢すぎる雛人形や雛道具を幕府が放置するはずもなく、そうした物の製造・販売を禁止する町触れをたびたび出しています。なかでも寛政の改革(1787~93)では、雛人形の材料と寸法を厳しく取り締まり、庶民が「八寸(約24cm)以上」の大型の雛人形を持つことは許されませんでした。

  ところが、このような禁令に対する庶民側の反動でしょうか、江戸ではこの頃から、より精緻な細工を施した極小の雛人形、「芥子雛」(けしびな)が持て囃されます。それはまさに江戸後期の文化の爛熟と高度な工芸技術が具現化されたものであったといえましょう。

  本品は幕末、安政2年(1855)に江戸深川木場の豪商が誂えた芥子雛の逸品で、人形の頭と手足はすべて象牙製、また胴体は木彫地に裂を貼った「木目込」の技法で作られています。毛氈代わりに用いた舶来のビロードからは、幕末らしい洋風趣味も感じられます。なお、製作翌年の安政の大地震を免れたまことにめでたい雛人形でもあります。

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