吉徳これくしょん vol.30
端午の節句の武者人形は、現在では雛人形と同じく室内に飾りますが、江戸時代の中頃までは軒先など屋外に飾る「外飾り」が中心でした。外飾りの武者人形は総じて大型で、なかには等身大に近いものもありましたが、それは屋外に目立つように据え、神の降臨の目印(招代・依代、おぎしろ・よりしろ)とする、五月飾りの本義によるものであったと考えられます。
しかしまた、往来に向けて飾られる立派な武者人形は否が応でも人目を引きますから、道行く人々に跡継ぎの誕生を報せ、あるいはその家の権勢を示すような目的もあったことでしょう。
こうした大型の武者人形は江戸中期以降、次第に小型化して、玄関前に飾っていたものが内庭や縁側に引っ込み、ついには座敷に飾られるようになります。それには、幕府の度重なる奢侈禁令の影響もありましょうし、特に江戸では大火を怖れたという都市ならではの事情もあったようです。何より、長い泰平の世の中で庶民文化の爛熟期を迎えつつあり、大きさや派手さを競うよりも、小さくとも精巧な細工が好まれるようになったことが最大の要因と考えられます。
この神功皇后人形は、武内宿禰と旗持の雑兵を従えた三体一組の内の一体です。主役の皇后は高さ1メートルにも及び、お顔は享保雛にも通じる能面風の静かな笑みを湛えています。かつての大型武者人形のおもかげを伝える、資料的にも貴重な一品です。