吉徳これくしょん vol.32
茶どころ京都宇治では、かつて「茶の木人形」と呼ばれる特色のある人形が作られていました。茶の古木を手のひらに乗るほどの茶摘女の姿に彫り、彩色を施したもので、ちょうど奈良人形(一刀彫)に似た趣きがあります。
この人形を創案したのは、宇治の茶師・上林 清泉(かんばやし・せいせん、別号・楽只軒、らくしけん)です。清泉は享和元年(1801)、美濃岩村の金森家(江戸初期の茶人・金森 宗和を生んだ名家)に生まれ、文政11年(1828)、宇治の上林牛加家の養子となり、その十代目を継ぎました。本業たる茶師の仕事のみならず、画筆にも優れた清泉は多くの絵画を遺しています。それは文人としての余技だったのでしょうが、金森家の血筋の為せる業とも思えます。
清泉が茶の木人形を創ったのは、天保14年(1843)頃、京都町奉行の田村伊勢守から将軍家へ献上するための宇治土産を求められたのがきっかけといわれ、その作品が好評を博したことから、以後、大名家などからも所望が相次ぎました。いかにも宇治を想わせる素材と容姿。土産として嵩張らない手頃な大きさ。さらに、根付仕立の実用品も加えるなど、商品としてのアピールポイントも充分だったことから、ついには宇治を代表する土産品に成長したのです。
明治3年(1870)の清泉没後は、子息の景穀(楽之軒)らに受け継がれましたが、昭和も戦後になるといつしか見かけなくなってしまいました。現在、各観光地で「ご当地キャラクター」のキーホルダーがヒットしていることを思うと、その元祖のような茶の木人形には一層感慨深いものがあります。